それでいい。

SN3J0041
「まだ死なないでしばらく生きているのも悪くない、
 腹が減ったら食べ飲みたいときに飲みやすらかに眠るだけ。
 今の私は死ぬのもよし生きるのもよしの心境だ、
 よくぞここまで来た、よくぞここまで来た 白楽天」
中国の詩人白居易(昔の人)の、自分の老いを喜ぶ詩。
ふとこの詩に出会い、書きとめておきたくなったよ。
先日、manaさんのフラワークに参加して、中島みゆきの「糸」を踊った。
踊るのは初めての曲だけど、1年前にこの踊りが誕生して、manaさんが踊るのを何度か目にしてきた曲。
とてもいい曲だし、manaさんの踊りも心がこもっていて素晴らしい。
が、自分自身がすごく踊りたいと思っていた曲ではない(そもそも最近では踊りたいという気持ちもあまりない)。
たまたま別府でのフラワークがこの曲になったから、参加した。
manaさんと参加したみんなと踊る時間。
部屋の空気が一体になって、まるでそれは海に浮かんで、ただ波を感じている1本の流木になっていた。特にmanaさんのすぐ後ろで躍る時は、二人の作りだす世界にたゆたうだけ。
ステップや手のモーションについて丁寧な二人の解説を聞く。
でも、頭はぽっかり空いたままで(寝不足だったからね)、ぼーっとしていた。
だけど、その夜、manaさんたちがちょっと驚いたように言うんだよ。
「エマちゃん、上手になっていたよ。足がちゃんと動いているんだよ」って。
「えっ、そうなんだ!」って嬉しくなって、なんでかな?って少し考えた。
以前の私と何が変わったんだろうかって。ステップの練習も踊りの練習も今は皆無。
多分、躍る時にどんどん考えなくなっている。
覚えようとか、うまくなりたいとか(時々は思うよ)、このワークから何かを得ようとか、考えなくなったのは確か(2年前に比べると)。
manaフラに出会った時、とても感動した。
心が解放されて、愛のようなものが全身をかけめぐり、躍ることの素晴らしさを体感した。
笑いがあり、涙があり、いつも喜びに包まれていた。
そして、気がつけばそんな感動を毎回manaワークに期待していたのかもしれない。
manaさんワークは期待をうらぎることはなかった。
でもって、今は期待がない。
あるのは、manaさんの二人と偶然居合わせた人たちと、同じ時間を体験するということ。
躍ることで何かが得られたり、変わったりすることは、あってもなくてもいい。
ただあの波を体感する。繰り返す波は同じに見えても、瞬間瞬間違う波だから。
踊っても踊らなくてもいい。
日常であっても旅の途中でもいい。
観客がいてもいいし、いなくてもいい。
船底にくっついた貝や海藻をそぎ落としながら、船は快適に進んでいくのだ。