着ぐるみをぬいで

20161107-1
グリは私の目では見えなくなってしまった。
でも、いなくなってなんていない。
グラを呼びかけるように、グリの名前を呼ぶとその存在を感じることができるから。
動物は、「肉体の死」を迎えた時、自然に受け入れるし、人よりも見えない世界につながっているから恐れもないと聞いた。クローズダウン、シャットダウン。
グリは、緩やかにクローズダウンしながら、最期は派手にシャットダウンを迎えたみたい。この1年くらいは、エネルギーを省エネモードで動きを最小限にして、ご飯を食べる時、人と遊ぶ時だけエネルギーを全開にしていた感じだった。
「グリ、こんなに長く一緒にいてくれてありがとうね。小さな身体を大切に使っているんだね、すごいね」って、毎日話しかけていた。
だけど、最後の瞬間のグリは、身体を動かすガソリンがもう尽きようとするけれど(砂時計の最後に砂が全部落ちる瞬間みたいに)、「私はもっとここにいたいんだから!!」って、叫んで羽ばたいてお迎えに少し抵抗していたのかもしれない(グリらしい)。
グリが私たちといることをとっても愛してくれていたことは痛いほど感じるんだ。
グリはインコになる以前は人間だった。それも歌うことがすべてだったオペラ歌手。その情熱は時に誰かを傷つけたのかもしれない(きりん先生のストーリー)。彼女は「人として生きるってどういうことか」を知るために、今度は鳥になって冷静に観察するために、人間の家族の元にやってきた(私のストーリー)。
グリはよくよく私たちのことを見ていた。
いつでも、もっともっと近づこうとしていた。
自分も人の会話(輪)の中にいないと気がすまなかった。
人に対する情熱と、嫉妬深さと献身的な愛情は、鳥っぽくなくどこまでも人間的だった。
そんなグリから、私はどういう風に見えていたのだろう?
17年間のグリから見えていた私を見てみたい。