第1話 ボローニャまでの道

絵本をかかえてボローニャへ

トンネルをぬけ出せ!

絵本をかかえてボローニャへ 写真1-1沖縄に暮らすようになってから、新しい物語をまだ一つもかけていなくて、月日がどんどん過ぎていった。沖縄に引っ越してきたのも、絵本を生み出す環境に身をおきたいと思ったから。
でも、現実には日々の労働(アルバイト)とごはんを食べるのに追われる毎日。
このままではいけないと思いついたのが、2年前からいつか行きたいと思っていた「ボローニャの見本市」(Bologna Children’s BookFair)に思い切って行ってみること。

ボローニャ展に入選した作品が見られるということと、一堂に集まる世界の出版社に自分の作品をみてもらうことができるのは、絵本作家やイラストレーターを目差す卵たちにとって、またとないチャンス。また、作品を応募したけれど入選しなかった人にとっては、リベンジの機会でもある。「売りこみ」という言葉がよく使われるが、実際にボローニャで作品を認められて、世界の何カ国で絵本を出版できたというケースがけっこうあるらしい。日本の作家さんも何人かボローニャ関連で出版にまでこぎつけている。そのうちの一人は、けっこう身近な関係者だったので、これはそう遠くもない話なのだ。

まさかの風邪をひきました

絵本をかかえてボローニャへ 写真1-2ということで2005年春、「今年ならいけるかもしれない」そう自分に思いこませて、なんとかイタリアの旅にまでこぎつけた。「イタリアに数週間いってくる」というのを理由に、アルバイト先の印刷屋をやめた。「休む」ではなくて「やめる」ことで、ボローニャ後の生活に区切りをつけたかった。

旅のおともは、高校からの親友タマ。彼女も、長くつとめていた歯医者さんをやめたばかりだった。「せっかくいくなら2週間くらいはいたい!」と夢はふくらみ、予算25万円2週間の旅は決行された。もちろん2週間ずっとボローニャにいたわけではなく、ローマ→アッシジ→フィレンチェ→ボローニャ→カプリ島→ローマとまわっていった。折しも、ローマ法王の葬儀と重なり、旅の出発地であるローマはいつもの何百倍にも人口はふくれあがっていた。

ローマではホロロマーニをはじめとする史跡をめぐり、法王の葬儀が終わった直後のバチカンにお参りし、中世の雰囲気をのこす聖地アッシジを歩き、芸術と歴史の街フィレンチェに到着した。が、ウフィッツィ美術館に入館するまでの4時間待ちの間に、どうやら風邪をひいてしまったらしい。こうして「明日からボローニャ」という時に、吐き気と腹痛の嵐はやってきた。

なんとか見本市会場へたどり着く

絵本をかかえてボローニャへ 写真1-3翌日になっても具合の悪さは治らなかった。でも、ここで寝込んでしまったら何のためにここまで来たのかわからない。フィレンチェの街でショッピングをする予定のタマと分かれて、汽車に乗ってボローニャに向かった。

1時間ほどでボローニャ駅に着いたものの、会場である「見本市」の場所がさだかでないことに気が付く。だけど駅周辺には、わたしと同じようないでたち(絵がはいっているような大きなカバンをぶらさげた)の人たちがウロウロしていたので、バス乗り場もすぐわかった。ぎゅうぎゅう詰めの満員だ。
 お腹の痛みをこらえて、窓の外の見慣れない景色をぼんやりと眺めた。

「ついにここまで来てしまった」。
誰かが、背中をおしてくれているように、気がつけば憧れのボローニャに降り立っていた。
会場に到着して入場料を払い、長い長い通路を一人歩いた。


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