第5話 砂漠の道を行く

深い眠り

よもや戦場カメラマン 写真5-1ヨルダンに着いて、街の風景も夜の闇の中に見えないままホテルに入った。古いにおいのするホテル。出発前の心労から解放されつつあった私は、明け方に流れる大音量のコーランにすら気がつかず眠った。

出発前2週間は、心労と忙しさため生きた心地がしなかった。行くか、行かないか。シンプルなこの選択肢に私はどれだけ悩まされたことだろう。「行くぞ」と決意したとたん何度でも新たな問題がでてきた。祖母の入院や、仕事の問題、友だちの反対や小鳥のこと。そしてなんといっても、イラクをめぐる国際情勢は急速に悪い方向に進んでいた。出発前日に外務省がバグダットの「退去勧告」を発表した時、私は「すべてが今回のイラク行きを反対している」ように感じた。ケイタイのメールには「行かないで!」「まだ行く気なの?」という友だちからのメールが続々とはいってきた。刻々と時間は過ぎていく。自分が選択するというこの重さを、私は今まで知らずに生きていたのかもしれない。

でも、もうここまで来てしまった。知らない国で目覚めたこの不思議な朝を、私は忘れないだろう。

車中(アンマン→バグダッド)

よもや戦場カメラマン 写真5-2翌朝、さっそくイラクへと向かう。バグダッドへの陸路の道は、おおよそ15時間。チャーターした4WDに、3人くらいずつ便乗した。私はもちろん、クレアチームと共に行動するだろうと思っていたが、人数の関係上1人になってしまった。「いざとなったら私は自分の力でなんとかしなければいけないな」と思った。だけど、なんとかするっていったって、アラビア語はおろか英語だってままならないのに、どうする…。

アンマンから出発して1時間も走れば、景色はまっさらな砂漠地帯だ。建物はおろか、木も山もない。さえぎるものがない砂漠のデコボコをボーッと眺めた。

私の前の席では、皇族出身(あとから知る)武田さんと、今回のイラク訪問団の団長・右助親分がこれから向かうイラクのことを話ていた。どうも武田さんはご両親に、このイラク行きのことを内緒できていたらしく(私も!)、右助親分が冗談で「今なら、引き返せるよ。どうする?」と聞いていた。私は心の中で「そうか、今なら引き返せるんだ。このまま突き進む先は戦場かもしれないんだから、死ぬことに比べたらUターンすることくらいどってことないよね。だけど、ここまで来ておきながらUターンって、あんまりにもかっこわるすぎ…」なんてことを考えていた。

砂漠は静かに晴れわたり、それは平和な景色だった。もしも、米英の攻撃が突如始まれば、私たちはこの砂漠の一本道を空爆の間をぬうように、逃げることになるだろう。出発前に聞いた右助親分の話では、湾岸戦争が始まる時この道を米軍に爆撃されながらかけぬけていったらしい。私もそんなことになりかねない状況にいるのは確かだった。


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