第4話 翼に乗った仲間たち

個性的なメンバー

よもや戦場カメラマン 写真4-1「右助イラク訪問団」の右助親分は、生粋の右翼な人だった。なので、今回のメンバーは右翼志向の人が多く参加していた。一方、左翼志向の人も同じ数くらいいたように思う。

なかでも、1977年の連合赤軍派によるハイジャック事件の時、リーダーだった塩見さんが参加していたのには驚いた。タイムリーではないけれど、私もこの歴史的大事件の名前くらいは知っていた。彼は、ハイジャックが決行される前日、別件で逮捕されハイジャックには加わることはできなかったけれど、一歩違えば今頃日本にはいないだろう。さらに驚くことに、おしのびで皇族関係者も約一名参加していた。

「あの時は、間違えてお宅に火炎瓶をなげてしまって申し訳なかった」とか、ありえないような話題が頭の上をとびかっていた。教科書や「昭和をふりかえる」といったテレビ番組で聞いたことがあるようなニュースの当事者たちが、今私の周りでひしめきあっていた。「やはり、なんだかとんでもない世界に巻き込まれつつあるのかもしれない」と空の上で確信しつつあった。

ヨルダン入国

よもや戦場カメラマン 写真4-212時間ほどのフライトを終え、オランダのアムステルダム空港に到着。近代的な空港は、開放的で明るく、いろんな国の言葉が明るくいきかっていた。クレアさんは、おみやげのCDを物色している。私の気持ちは、ショッピングができるほど余裕はなく、何をみても「帰ってこられるのかな?」と気もそぞろだった。

アンマンまでの飛行機は、先ほどに比べだいぶ小型になった。機内には、いつもはあまり見かけない東洋人の集団が珍しいのか、私の隣にすわっていた吉沢さんはビジネスマン風のヨルダン人に話しかけられていた。

「あなたたちは、どこにいくのですか?」。吉沢さんは、少し言いづらそうに「イラクに行きます」と答えた。するとその男性は「アーユークレイジー?イラク?」と目を丸くして、みぶるいをした。「なんという危険なことをするんだ」とかなり強い口調で。吉沢さんは、気まずそうに苦笑いをしていた。

私は、この旅の目的を説明できる人は、まだいないだろうなと思った。だって自分でも、どうしてここまで来てしまったのかわからないまま、こうして飛行機にのっているのだから。

飛行機は着陸態勢にはいった。初めての中東、あたりはすっかり夜になっていた。


もくじ » 第5話 砂漠の道を行く