ふとクリーニング屋さんに行った帰り道、「どこかにいきたい」と思った。
そしてあてどもなく歩きはじめたけれど、どこにもいきたい場所がないことに気がついて、
交差点やバス停の前で待っている人にまぎれて、ぼーっと立ちすくむ。
毎日、朝の鳥たちの大合唱をきいたり、畑の野菜にやってくる虫を観察したりとりのぞいたり、ネコに話しかけたり、グリとみつめあったり、種からでてきた小さな芽を探したり、ミクロな世界にどっぷりつかっている。このままでいくと砂つぶの世界にいきつくのかもね。
社会人としての役割も、家庭人としての役割も、世界に大きな声でいえる肩書きもなく、
ただただ自分であること以外はなんにもない日々。
だから、自分の気持ちをごまかすこともできようもないし、
さりとて自分がなんであるかも理解できない。
目的もなければ、野心もない。なんにもないじゃないか、わたし!!(あっ、目標はあるかな)
外からの評価なしに(たとえば給料をもらうとか、役職があるとか、母であるとか、賞をもらうとか)、自分自身を保つというのは案外稀有なことかもしれない。
人は社会的生きものだからね。
丸裸で鏡の前にたって自分をみつめている、そんな感じの日々。
「世界を見失ってみてはじめて、われわれは自分というものみつけはじめる」
(ヘンリー・D・ソロー「森の生活」より)
だといいが。
