これは今年(2024年)の3月16日の話。
引越しまで1週間を切った土曜日、ミケランコはうっかり開けっぱなしになったドアから出て行ってしまった。
ドアが全開になっているのを発見して、ドキっとした。ミケランコは家にいる?
さっきまでいたベッドの下はもぬけの空。
慌てて外に出ると、チリリンと鈴の音がかすかに聴こえる。
ミケランコの首輪の鈴の音に違いない。
まだ近くにいるのは確かだ。
家の周りを探すと、お隣さんの敷地をいつになく軽やかなな足取りで歩くミケランコの姿が。追いかけると、離れていく。
お隣さんの家の裏でひとやすみを始めた。
姿勢を低くしてソロリソロリと少しずつ距離を縮める。
だいぶ近づいた。手を伸ばすと頭を撫でることができた。
「すきをみてつかまえなきゃ」と心の中で思いしばらく横にいた。
「いまだ!」と身体をつかむも、ミケランコはスルっと手をぬけて走り去ってしまった。
それ以来、私と目があったり、近づいていくと、走って逃げていくようになってしまった。
怖がりのミケランコは抱っこが嫌い。つかまれるなんてもってのほか。
お隣さんの瓦屋根の上から、景色を眺めている。
那覇の街、森、海、空ぜんぶ見えるこの景色をミケランコも好きに違いない。
自由な外ネコ時代はいつも眺めていた景色。
もう、ミケランコを力づくで家に戻すことは諦めた。自分で帰ってくるのをひたすら待つことにした。夕方になり、おひさまも沈んでしまった。
時々、かすかに鈴の音がチリンと聴こえる。庭でもチリン。
外に出ると、ミケランコがノラネコ時代によく歩いていたスロープや駐車場のあたりを、足取り軽く散歩している。
もうすぐこの生まれ育った場所を離れることを、ミケランコももちろんわかっていたんだと思う。ガジュマルの木、風、お日さま、草、いつもそばにいた頼もしい仲間たち。
きっと、ミケランコも私も同じ気持ちなんだと思う。
ミケランコはここに残りたいのかもしれない。私もずっとここにいたい。
今まで、病気になったミケランコを保護して、育ててきたけど、守ってきたけど、もうそれも終わりかもしれない。毎日点滴して、一口ずつご飯をあげて、ヒーリングして、いろんな時間を共に過ごしてきたけど、命をつないできたつもりになってたけど、ミケランコはそんなことは望んでなかったのかもしれない。
まだ生きてほしかったのは私で、ミケランコは自由に自然に包まれて最後を迎える方が幸せだったのかもしれない。
ドアがちゃんと閉まっていることを確かめなかったことを後悔したけど、ミケランコがもう一度外に出られたことはいいことだったのかもしれないとさえ思った。ミケランコの願いは叶えられたから。
今夜は、蚊に刺されようが、ネズミや虫が侵入してこようがかまわないから、家中の窓とドアを開放して眠ることにした。万が一、ミケランコが家に帰ってきた時に入ってこられるように。
夜10時をまわって、暗くした部屋で横になっていると、またチリンと鈴の音が聞こえた。ミケランコは庭にいるのだろう。でも出て行かない。
チリン、リンリン。鈴の音が近づいてきた。
チリリン。ミケランコがそっと私が寝ているベッドに、いつものように登ってきた。
私にピッタリと身体をつけて座っている。
そっとミケランコに手を伸ばして「おかえり」とだけ言って、頭をなでた。
しばらくこの時間を味わってから、ミケランコに「帰ってきてくれてありがとうね」ってお礼を何度も言った。
いつものように、点滴をして、ご飯をあげて、一緒に眠った。
もう、ほかに何もいらないと思った。