グスク物語2

20160416
<鍋より小さな身体のグスク、心は大きいんだ>
グスクがいなくなって3日目。
夜中何度も目覚めてしまう。そして目が覚めれば「グスクもういない」って真っ暗な気持ちになる。あまりにもグスクのことばかり思いでしてしまうから、「ハニーサックル」を飲み始めた。目の前には、グリモコニーときぢがいるのに、私は今に生きていない。
グスク物語の続き。
去年の夏、グスクが庭に2週間くらい現れなくて、もう死んじゃったのかもしれないってかってに絶望して、グスクが再び現れたあの時から、私たちの関係は少しずつ変わり始めた。
グスクのノラネコとしての自由を見守りつつ、私がグスクにしてあげられることは最大限したいなと思った。
グスクにご飯をあげるのも最初の頃は少し「いいのかな?」って気が引けていた。
全部をめんどう見られるわけじゃないのに、中途半端に手を出して後でグスクが困ることになったらどうしようとか。そして誰のものでもないグスクを自分のものみたいに思ってしまったらどうしようとか。
でもこの人生で一回きりの出会いを後悔したくなかったから、思いっきり向き合おうと思ったんだ。
と言っても、グスクの飲み水を毎日変えてあげることや、グスクの体調を見て、ご飯のメニューを考えることとかとてもシンプルなことなんだけど。
今年になると沖縄の冬も例年になくかなり寒くなったから、グスクを家にあげられない分(小鳥さんたちがいるからね)、amazonダンボールを縁側に置いてグスクの避難場所を作った。
中にはタオルとクッションを入れて寝心地良くね。夜や寒い日中は湯たんぽを置いた。
そしたら居心地が良かったのか、グスクはこの冬はずっとそこで過ごしていたんだ。
ご飯以外はずっとダンボールハウスで寝ている日も何日かあったね。
のぞくとグスクが「なー」って声がかすれて出ないんだけど口を開いてくれるのが可愛くてね。
くしゃみの連発、鼻水、目やにが出てた時は、グスクが死んじゃうじゃないかと思ってダンボールハウスで看病した。水にフラワーエッセンス入れたり、皮膚にレスキューやEMスプレーしたり。
そんな日々を過ごす中、私たちは親子みたいに仲良くなっていった。
グスクがそーっと私の膝の上に乗って、丸まって寝た冬の夜のことはあたたかい思い出だよ。
空も星も私もグスクもシーンと静まりかえって、「何も怖くないよ」ってグスクを包み込んで。ほんの20分くらいのことだったけど。
多くのノラネコが命を落とすと言われている風邪も克服し、暖かな春を迎えられたのに、グスクは旅立ってしまった。私が旅行に行かなかったら、雨が降らなかったら、グスクがすぐ近くにいたことを気がついていれば、などなどたくさん考えてしまう。
知ってるよ、寂しさ、悲しみは私のエゴがそこにしがみついているからってことは。